どうして最近のオタクはオタクを隠さなくなったのか

Twitterで見かけました

どうして最近のオタクはオタクを隠さなくなったのか

について前々から思っていることがあるので書いて行きます。

あ、見かけた記事は下の記事です。

 

yusaani.com

 

最初に申し上げて起きますが、私自身はそんなにオタクではないと思ってます。

ギャ男でV系が好きで、たまにライブ行って頭を振っている程度です。

 

ただ、自分の属性を隠すという事はしなくていいと思います。

モラルは守らなければなりませんが、

その辺りをちょっと具体的に書いて行きます。

 

 

①恥ずかしい恥ずかしくないの話なの??

正直誰がどんな格好をしていても別に構わないんじゃないか僕はと思う。

いや、誰だって好きな格好したいじゃない?

例え周りから見てその格好がいくらダサくても好きならいいじゃん?

 

私も高校生の時めっちゃウォレットチェーンじゃらじゃらしてましたし。

 

ただ、やはり自由といえど一定の限度は存在すると思ってます。

 

・イラストやデザインが×(例えば18禁のイラストが描かれている。また、それに近いイラストである。書かれている文章に他者を阻害する文章が含まれているなどデザインの側面)

・人間として×(風呂にいつはいったの?ってくらい体臭が酷い。なんか汚い。一般的なマナーを守らないなど、集団行動を前提とした公共施設に置いての振る舞いがっていう側面)

 

オタクに限らず最低限この2つに注意してれば別に何の問題もないと思っています。

だから、好きな服着たらいいし、好きな事語ったらいいんじゃない?

それが認められる社会の方が幸福度高いし絶対みんな幸せの筈なんだ。

 

Point :

好きならそれに大しては周りの目線なんて気にしなくていい。

それ以外の目線に大してはある程度気を使っておく必要がある。
(良くも悪くも目立つ格好であるならなおさら)

 

 

②なんで隠さなくなったのか

 

そもそも隠す必要がないと私は思っていますが、あえて理由をあげるとするならTwitterを初めとしたSNSの発達が大きく影響していると思っています。

 

今や様々な商品、人物、情報、がSNSにはあふれかえっています。

その中から自分の好みだったり、利得があったり、なんか気になるという興味で取捨選択をし、フォローをするわけです。

それらは憧れであり、同志であり、友人であり、仲間です。

 

そして日常的にTwitterを見ている状況に置いて

リアルな生活よりSNSを優先している事はしばし起こりえます。

身近な例だとご飯食べる前に写真を撮る行為がそれです。

リアルな生活をするだけなら要らない一手間です。

 

こうしたSNSを優先した日常を過ごしていると

常に自分の仲間だけの世界にいる事が出来るため、別にリアルな周りにどう思われようと痛くなくなります。

だって携帯を開けばすぐそこに仲間がいますから。

その仲間に否定されなきゃ良いわけで。

むしろ賞賛してもらえる環境がSNSに整ってるならそれで幸せなのです。

 

Point :

SNSの発達で趣味を共有しやすくなり、周りに理解者が増えため

隠す必要がなくなった。

 

 

もちろん私の個人的な考えです。

ちなみにリンク先に張ってあるパーカーはレムさんですが

表情がえちなのでいけないと思います。